大判例

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仙台高等裁判所 昭和43年(ネ)65号 判決 1972年6月19日

控訴人 岩代町田沢財産区

右代表者岩代町長 鈴木和一

右訴訟代理人弁護士 今野佐内

被控訴人 遠藤安正

右訴訟代理人弁護士 渡辺春雄

主文

原判決を取り消す。

被控訴人は控訴人に対し別紙図面B、B1、B4、C、ル(六一点)、ヌ(一〇三点の二三)、一〇三点の二四ないし一〇三点の二七、リ(一〇三点の二八)、一〇三点の二九ないし一〇三点の三二、ト'(一〇三点の三三)、一〇三点の三四ないし一〇三点の四六及びBの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地は控訴人の所有であることを確認する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨(但しル点とあるのは六一点、ヌ点とあるのは一〇三点の二三、リ点とあるのは一〇三点の二八、ト'点とあるのは一〇三点の三三と同一と認める。)の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

≪以下事実省略≫

理由

一、控訴人が福島県安達郡岩代町大字田沢字日山一二番の一原野一一七、四八〇平方メートル(一一町八反四畝一八歩)を所有し、被控訴人が同町大字田沢字堰場八番の三山林一七、三〇二平方メートル(一町七反七畝七歩)を所有していることは当事者間に争がない。

二、ところで控訴人は、主文第二項掲記の土地(以下本件係争地という)は字日山一二番の一と主張し、被控訴人は堰場八番の三と主張するのであるが、右両地番は字限図から見て隣接する土地であるから右係争地の帰属は結局は右両地番の境界如何にかかることはいうをまたない。

ところで控訴人は当審において、従前同人の主張していた右両地番界イ、ロ線を変更して、B、C線が地番界であると主張するに至った。その理由は要するにイ、ロ線とB、C線とに挾まれた土地は控訴人において石井長太郎に贈与した際、右両土地の境界を変更したためであるということに帰する。しかしながら特定の地番をもって表示されている土地とそれに隣接する土地の境界は客観的に定っているものであって当事者間の合意のみで変更しうるものではない。したがって控訴人主張のごとき贈与がなされたか否かによって地番界が変更するものではない。

ところで地番界の決定に当っては字限図、登記簿上の面積、故老の伝承、経験した事実などが主たる資料となるので、以下これらを基として考えた場合の各当事者の境界に関する主張の当否につき判断する。

(一)  当事者主張の地番界と字限図との関係ならびに各当事者主張の境界線により実測した場合の各所有土地の面積と公簿上の面積との比較、≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。

(イ)  字堰場の字限図によれば、八番の一と三との面積の比率は八番の三がやや広い程度で大体において同程度の面積のものとして表示されている。公図に正確性があるとすると、右公図より推考する限り八番の一及び三の実際の面積は大差がなく、ほぼ同様な面積であるということになる。

被控訴人は字限図は地番界、面積などの点については正確なものでないことを強調するが、しかし字限図が常に全く信憑性に乏しいものともまた断言しえない。

(ロ)  字日山の字限図によると同字一二番の一は同番の二によって東西に分断される形をなし、その西半分の土地は南に赴くにつれて東西の幅員が拡がり、同字七番と堰場八番の一、同番の三その他隣接地番によって挾まれた部分は相当広い面積であると認められる。

ところで被控訴人主張の境界を基礎とした実測図によると日山一二番の一の西半分は日山七番に近づくにつれて東西の幅員は拡がることもなく、細長い帯状をなしたまま堰場八番の三を囲む形をなすことになり、右字限図とは著しい差を呈することになる。これに反し控訴人主張の境界を基礎としたものは著しい差を示さない。

(ハ)  つぎに被控訴人主張の境界を基礎とした八番の一、二、三の実測面積は左記欄のとおりである。これと右各土地の公簿面積とをそれぞれ比較してみると、八番の一の公簿面積と実測面積とは大差があるとはいえないのに同番の二、三はいずれも実測面積が公簿面積を大巾に上廻っている。

公簿面積

実測面積

八番の一

一町一反四畝一一歩

一町八反五畝〇九歩

八番の二

七畝一九歩

四反〇畝二九歩

八番の三

一町七反四畝一四歩

四町七反六畝一三歩

(ニ)  日山一二番の一の公簿面積は一一町八反四畝一八歩であるところ、控訴人の主張を基礎とした実測面積は一七町三反二畝一八歩であり、その比率は八番の二、三の公簿面積と実測面積との比率に比し著しく下廻っている。(控訴人の主張するBC線を基礎として実測した結果はそれより更に下廻ることはいうをまたない。)

(二)  ≪証拠省略≫を総合すると

(1)  大字田沢においては、桑原九介、菅野権之助、清野栄源らがいわゆる故老と目されている者であるところ

(イ) 桑原九介(明治一一年生れで田沢村に永らく居住している者)は一八才頃、父の喜七(当時村会議員)より字日山と石井春太郎所有の字堰場の土地との境はイロを結ぶ線であると教えられた。字日山一二番の一が明治三九年頃営林署から学校林に払下げられるとき払下を受ける側の田沢地区の委員の一人であった町久我治に乞われ国有林(日山一二番の一)と民有地(字堰場)の境界について先に父より教えられたとおり告げ、更に営林署員にも同様のことを話したところ同署員よりその話と図面とは合っているといわれた。

(ロ) 菅野権之助(明治二四年生)は一八才位のとき祖父の菅野平吉から小林平五番と日山一二番の一と堰場八番の三とは三方境になっていること、その三方境はイ点であると聞かされた。

(ハ) 清野栄源(明治一九年生)は大正初期よりももっと以前に祖父の清野文右エ門から日山、堰場、小林平の境を教えられた。その点はイ点と記憶していること、文右エ門は測量を行っていて頼まれては官民有地の測量をしているので境は知っていた。

旨述べていること。

(2)  日下部栄が立会人となって行われた堰場八番の三の売買に当り売主石井春男、買主遠藤将ともに現地で境界を指示して売買したものではなく、書面だけで売買したものであること。

(3)  石井長五郎は官有林であった当時の日山一二番の一の山林に侵入して土垣を設けたり、その毛上を刈ったりして問題を起したことが部落民の間に喧伝されていたこと、その孫石井春男は一二番の一との境界について正確な認識をもっていたとは認められないこと。

(4)  日山の官有地(元官有地であった本件係争地を含む)あたりは部落民が草を刈ったり柴木を取ったりしてもとがめられなかったこと、そこより下へ下がれば民有地だからイロ線から下に勝手に行かれないといわれていたから部落の人達は大体みなその境のことを知っていたこと、官有地の方は誰でも行って刈っているから民有地より木が少なくそれで目で見て判るような状態であったこと。

が認められる。

そして以上認定の事実によると日山一二番の一と堰場八番の一及び三との境界は、イロ点を結ぶ線(直線で結ぶか窪ぞいに結ぶかの点はしばらくおく)と認めるのが相当である。(もっとも字小林平、字堰場の字限図によると右両字の境界は山道であると認められるし、また原審証人福安源盛の証言によれば同人が菅野権之助と共有している小林平五番の山林は別紙図面70点(イ'点に同じ)ないし65点において字日山と接していることが認められるので、ロイ線の延長と参道との交る点に当る点イ'が三方境としてはむしろ正確といいうる。)

≪証拠判断省略≫

もっとも前記証人桑原九介、菅野権之助、清野栄源の証言によればイ点が字日山、堰場、小林平の三方境であるというに対し、当審の検証の際、当事者はいずれも三方境(又は三方地番界)はC点であるといっている。もともと三方境とは客観的なものであって、当事者間で三方境であることに争のないからといってその地点が三方境となるわけのものではない。ところで控訴人は三方境はC点であるといい所有権確認を求める範囲を減縮した。イ'ロ線が境界であるとする以上右線(イロが直線であると窪ぞいであるとを問わず)より更に南方に当るCB線以南の土地は当然控訴人の所有であるべきであり控訴人の本訴請求はこれを正当として認容すべきである。

三、時効取得の抗弁について

≪証拠省略≫を総合すると左記の事実がそれぞれ認められる。

被控訴人先代将は昭和二二年三月五日菅野平一郎より堰場八番の二を、昭和二四年一二月一五日石井春男より同番の三をそれぞれ買受け、本件係争地及びその以北の土地に杉を植栽し、また、従前生育していた杉を育成し、それが昭和三九年三月頃の調査によれば一四年生或いは一九年生の杉に生長していること、その後も被控訴人は右立木の育成管理に当り現在に至っていることが認められる。

そして右のような支配形態からみて、将及び被控訴人は八番の二、三を買受けてから現在まで本件係争地を占有してきたものと認めることができる。

ところで占有者は所有の意思をもって善意、平穏且つ公然に占有をなすものと推定されるから次に被控訴人の右占有に過失がなかったかどうかについて判断する。

(イ)  前記記二、に認定の事実に照らし、特に、字限図、公簿上の面積と実際の土地の位置関係、実測面積とを比較検討するならば被控訴人の主張するような境界線は被控訴人にとり著しく有利であり、控訴人の所有権を侵害するおそれがあることに想到するのが当然と考える。字限図は正確でないというような理由で一がいに無視することは相当でないし、実測を怠ったり或いは隣接地所有者の意見とか立会とかを求めないまま売主のいう境界が正しいものと信じこむことも不注意であると認められる。(なお堰場八番の二の真実の位置がどこであるかは判断に苦しむところであり、右土地の位置が被控訴人の主張と一致するという前提に立って本件境界を判断することには躊躇せざるをえない。)

ところで被控訴人はこのような点について必要な調査を遂げたことの主張も立証もしない。

そうだとすると遠藤将の占有は占有の初め過失がないものとは認めがたい。

したがって本訴提起当時取得時効はまだ完成していないことが明らかであり、時効の抗弁は理由がない。

四、控訴人の請求は正当であるからこれを認容すべくこれと結論を異にする原判決は取消を免れない。本件控訴は理由がある。

よって民事訴訟法第三八六条、第八九条、第九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本晃平 裁判官 小林隆夫 裁判官伊藤和男は転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官 松本晃平)

<以下省略>

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